写経のススメ
当山観音寺では、古くから写経が行われてきました。その顕著な例として、1974年(昭和四十九年)七月二十三日には、観音寺境内旧南門より銅製経筒が出土されました。
この銅製経筒には『摩訶般若波羅蜜多心経』『妙法蓮華経』一部八巻が完全に内蔵されており「天永三年(1,112年)9月7日、勧進僧浄因、執筆僧智昭」と記されていたことから出土写経としては藤原道長の「紺紙金泥経」(国宝)についで古く、『妙法蓮華経』全巻が揃ったものとしては日本最古のものといわれています。
写経の歴史を振り返ってみますと、インドから中国へ仏教が伝わってきた際、お釈迦様の教え、つまりお経がインドの言葉(梵語)から中国の言葉(漢字)に翻訳されていきました。翻訳されたお経を正確に弘め、編集するために写経(経を写すこと)が行われていきました。中国から日本に仏教が伝わった際も同様で、中国・日本、いずれも当時の国家事業として写経が行われていたようです。
写経の功徳については法華経の中に「写経=成仏」と記されており、今日にまで多大な影響を与えております。
~『法華経』法師品より~ お釈迦様と藥王菩薩・八万の菩薩とのエピソード
「『法華経』の一偈一句を聞いて、少しでも喜びの心が生ずる者は成仏することができる。さらに受持・読・誦・解説・書写の五種の修行と十種類の供養を行う者にはその功徳によって成仏できるであろう。」(妙法蓮華経巻四)
※五種法師の教え
・受持(じゅじ) →『法華経』を心の中に携える
・読(どく) →お経を読むこと
・誦(じゅ) →暗誦
・解説(げせつ) →他人に教えること
・書写(しょしゃ)→書き写す
このように写経は五種法師の中の一つに組み込まれており、写経をすることで成仏するというわかりやすい教えであったことから一般民衆にも受け入れられていきました。また、平安時代には末法思想(仏の教えの力が及ばなくなる)とも重なり、「どうか来世でも仏の御教えに預かれるように」との願いをこめて写経をする人も多かったようです。
姿勢をただして墨を擦って文字を書く。簡単なことのようですが、気が焦って感情をコントロール出来ず文字が歪んでしまい、なかなか上手に書くことができません。それでも集中して一つ書き終わると何とも言えない達成感や解放感が生まれます。これが仏教の芽生えではないかと思うのです。
日々の多忙な生活の中で自分の心を巡ることは容易ではありません。写経を通じて集中できなかった自分、達成感がある自分、どちらが良い悪いのではなく、ゆっくりと自分自身のために時間を使い、心と体の充足をはかってみてもいいのではないでしょうか。
今年は全国的に自宅にいる時間が多いようです。テレビやインターネットにかぶりつくだけではなく、知り合いのお寺さんや写経体験ができる寺院に尋ねてみてもいいでしょう。
また最近では文具店やインターネットのサイトにて簡単に写経セットは購入できます。新型コロナウイルスの早期終息、社会の安穏を願いながら自分自身に贅沢な時間を使ってみてはいかがでしょうか。